ホセ・アントニオ・チャモ(José Antonio Chamot, 1969年5月17日 - )は、アルゼンチン・エントレ・リオス州出身の元サッカー選手。アルゼンチン代表であった。ポジションはディフェンダー。
クラブ経歴
ロサリオ・セントラルの下部組織を経て、1988年にトップチームにデビュー。1990-91シーズン開幕後の10月に、ピサへと移籍した。このシーズンからディエゴ・シメオネもチームに加入した。11月11日のサンプドリア戦でデビュー、このシーズン22試合に出場したが、チームは翌シーズンのセリエB落ちが確定した。
1993-94シーズン、ズデネク・ゼーマンが率いていた、フォッジャへと移籍し、実力を発輝した。1994-95シーズン、ゼーマンがラツィオの監督に就任するにあたり、チャモの獲得を要求し、ラツィオへと移籍した。このシーズンのリーグ戦で3度退場処分となったが、チームの2位、来期のUEFAカップ出場権獲得に貢献した。この間、リーグ第24節のジェノア戦でセリエA初得点を決めた。その後も守備の中心選手として、チームの好成績に貢献したが、1997-98シーズンは怪我で殆どプレーが出来ず、チームはコッパ・イタリアを制したが、出場出来たのは決勝の第1戦だけだった。このシーズン限りでチームを離れた。
1998-99シーズンからの2シーズンをアトレティコ・マドリードで過ごし、合計55試合に出場した。2000-01シーズン、イタリアでプレーしていた時から興味を示していた、ミランに加入。慢性的な負傷により、コンディションが悪く、欠場や控え選手となることが多かった。その後、レガネスでのプレーを経て、ロサリオ・セントラルへと複帰したが、殆どプレーが出来ないまま、2006年に引退した。
代表経歴
アルゼンチン代表としては、それまでも召集歴はあったが、1993年10月31日、ワールドカップ予選プレーオフのオーストリア戦でデビューを果たした。
代表歴
出場大会
- アルゼンチン代表
- 代表初得点 - 1994年5月18日 vs チリ
- 1994年 - FIFAワールドカップ (4試合) (ベスト16)
- 1995年 - コパ・アメリカ
- 1995年 - キング・ファハド・カップ (準優勝)
- 1996年 - アトランタオリンピック (銀メダル)
- 1998年 - FIFAワールドカップ (4試合) (ベスト8)
- 2002年 - FIFAワールドカップ (1試合) (グループリーグ敗退)
試合数
- 国際Aマッチ 41試合 2得点(1993年-2002年)
獲得タイトル
- ラツィオ
- コッパ・イタリア: 1997-98
- ACミラン
- UEFAチャンピオンズリーグ: 2002-03
- コッパ・イタリア: 2002-03
- アルゼンチン
- オリンピック代表銀メダル : 1996
脚注
外部リンク
- ホセ・チャモ - Olympedia (英語)
- ホセ・チャモ - Sports-Reference.com (Olympics) のアーカイブ (英語)
- ホセ・チャモ - National-Football-Teams.com (英語)
- ホセ・チャモ - FootballDatabase.eu (英語)
- ホセ・チャモ - WorldFootball.net (英語)
- ホセ・チャモ - Transfermarkt.comによる選手データ (英語)
- ホセ・チャモ - Transfermarkt.comによる指導者データ (英語)
- ホセ・チャモ - FIFA主催大会成績 (英語)
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