真恵(しんえ/しんね)は、南北朝時代の明法家(法学者)。俗姓は中原氏。兄の是円と共に『建武式目』の制定に関わった。
略歴
父の中原章継は、中原氏のうち明法道を家学とする系統で、章直流に属す。長兄の中原章任は、法学書『金玉掌中抄』を著した法学者。
後醍醐天皇が建武の新政(1333–1336年)を開始すると、建武 (日本)元年(1334年)8月に雑訴決断所が8番制に再編された際、その5番に務めた。次兄の是円も2番に属している。建武3年11月7日(1336年12月10日)、兄の是円と共に室町幕府の基本法『建武式目』を足利尊氏に勘申した。
貞和3年5月16日(1347年6月25日)に数え69歳で没。一方、貞和2年(1346年)に数え65歳で没という説もある。
なお、かつては二階堂氏出身とする説があったが、後に誤りであると判明している。
脚注
参考文献
- 今江広道「是円」『改訂新版世界大百科事典』平凡社、2007年。
- 吉岡真之「中原氏」『国史大辞典』吉川弘文館、1997年。




