山本 秀一(やまもと ひでかず/ひでいち、1941年6月18日 - 2016年11月16日)は、和歌山県出身の陶芸家、元プロ野球選手。プロ野球選手時代のポジションは内野手。陶芸家としては雷山陶秀の名義で活動していた。
来歴・人物
県立和歌山商業高校では1957年、1年生の時に三塁手として夏の甲子園に出場した。1回戦で安藤統夫のいた茨城県の土浦一高に敗退。
1960年に南海ホークスへ入団。1年目から一軍で起用され、三塁手として10試合に先発出場。しかし打撃に難があったため、その後は出場機会が減少する。1962年オフに西鉄ライオンズへ移籍。1965年には、トニー・ロイの控えながら、遊撃手として35試合に先発出場。しかし腰痛のため、1968年限りで引退した。
引退後、福岡県早良郡早良町(現在の福岡市早良区)で鳥料理屋を開くが3年で店を閉じ、佐賀県西松浦郡有田町で陶芸家としての修業を積んだ。1973年に福岡県糸島郡前原町(現在の糸島市)で窯を開く。
1985年に日本美術展覧会に入選した。
詳細情報
年度別打撃成績
背番号
- 13 (1960年 - 1962年)
- 34 (1963年)
- 19 (1964年 - 1968年)
脚注
参考文献
- ベースボール・マガジン社編『プロ野球人国記 完全版 近畿編』(ベースボール・マガジン社, 2004年1月)
- 森岡浩編著『プロ野球人名事典』2001年版(日外アソシエーツ, 2001年5月)
関連項目
- 和歌山県出身の人物一覧
- 福岡ソフトバンクホークスの選手一覧
- 埼玉西武ライオンズの選手一覧
外部リンク
- 雷山陶秀窯




