1965-1966シーズンのNBAは、NBAの20回目のシーズンである。シーズンは1965年10月16日に始まり、1966年4月25日に全日程が終了した。

ドラフト

ドラフトではフレッド・ヘッツェルが、デトロイト・ピストンズから全体1位指名を受けた。この年のドラフトは豊作の年で、リック・バリー、ビリー・カニンガム、ゲイル・グッドリッチ、ビル・ブラッドリーと後に殿堂入りを果たす4名の選手が指名を受けている。またジェリー・スローン、ディック・バン・アースデール、トム・バン・アースデール、フリン・ロビンソンらが指名を受けている。

シーズン

オールスター

  • 開催日:2月11日
  • 開催地:シンシナティ
  • オールスターゲーム イースト 137-94 ウエスト
  • MVP:エイドリアン・スミス (シンシナティ・ロイヤルズ)

イースタン・デビジョン

ウエスタン・デビジョン

スタッツリーダー

※1969-70シーズン以前はアベレージよりも通算でスタッツリーダーが決められていた。

各賞

  • 最優秀選手: ウィルト・チェンバレン, フィラデルフィア・76ers
  • ルーキー・オブ・ザ・イヤー: リック・バリー, サンフランシスコ・ウォリアーズ
  • 最優秀コーチ賞: ドルフ・シェイズ, フィラデルフィア・76ers
  • All-NBA First Team:
    • リック・バリー, サンフランシスコ・ウォリアーズ
    • ジェリー・ルーカス, シンシナティ・ロイヤルズ
    • ウィルト・チェンバレン, フィラデルフィア・76ers
    • オスカー・ロバートソン, シンシナティ・ロイヤルズ
    • ジェリー・ウェスト, ロサンゼルス・レイカーズ
  • All-NBA Second Team:
    • ハル・グリア, フィラデルフィア・76ers
    • サム・ジョーンズ, ボストン・セルティックス
    • ビル・ラッセル, ボストン・セルティックス
    • ガス・ジョンソン, ボルチモア・ブレッツ
    • ジョン・ハブリチェック, ボストン・セルティックス
  • All-NBA Rookie Team:
    • トム・バン・アースデール, デトロイト・ピストンズ
    • リック・バリー, サンフランシスコ・ウォリアーズ
    • ディック・バン・アースデール, ニューヨーク・ニックス
    • ビリー・カニンガム, フィラデルフィア・76ers
    • フレッド・ヘッツェル, サンフランシスコ・ウォリアーズ

王座陥落?

ボストン・セルティックスがフィラデルフィア・76ersにデビジョン首位の座を明け渡した。イースタン・デビジョン首位の座がセルティックス以外のチームに渡ったのは実に10年ぶりのことである。76ersは加入して2年目のウィルト・チェンバレンを始め、チェット・ウォーカー、ハル・グリアにルーキーのビリー・カニンガムと戦力が整い、レギュラーシーズンのセルティックスとの直接対決でも6勝4敗と勝ち越すなどいよいよその地位を脅かした。チェンバレンはルーキーイヤー以来のMVPを獲得した。

プレーオフ・ファイナル

八連覇達成

10年ぶりにデビジョン首位の座を明け渡したボストン・セルティックスは、10年ぶりにプレーオフ1回戦(デビジョン準決勝)からの参戦となった。初戦の相手はシンシナティ・ロイヤルズだった。セルティックスはオスカー・ロバートソンとジェリー・ルーカス擁するロイヤルズに苦戦を強いられ、1勝2敗と先にシリーズ王手を掛けられた。しかしチームの立て直しに成功したセルティックスは、2連勝を飾ってデビジョン決勝へ進んだ。

デビジョン決勝でセルティックスを待っていたのは、打倒セルティックスに燃えるウィルト・チェンバレンとフィラデルフィア・76ersだった。デビジョン準決勝の激戦で疲労困憊の上、レギュラーシーズン中の直接対決では負け越している相手だけに、セルティックスの連覇記録もいよいよ途切れるかに思われたが、蓋を開けてみればセルティックスが4勝1敗であっさりと勝利した。どうしてもセルティックスに勝てないチェンバレンは弱点のフリースローを徹底的に突かれ、このシリーズでも68本のフリースローを打たされ、28本しか決められなかった。

ウエスタンからはライバル、ロサンゼルス・レイカーズが勝ちあがってきた。レイカーズはエースのエルジン・ベイラーが選手生命を脅かすほどの故障を抱えており、このシーズンはそれまでのキャリア平均を大幅に下回る16.6得点9.6リバウンドの成績だったが、プレーオフに入って徐々に調子を上げていき、デビジョン決勝で宿敵セントルイス・ホークスを破って2年連続でファイナルに進出した。

ファイナル第1戦はベイラーが36得点、ジェリー・ウェストが41得点を記録し、オーバータイムの末にレイカーズがものにした。その後セルティックスが3連勝、レイカーズが2連勝し、シリーズは第7戦までもつれた。最後はリーグ最小失点を誇るセルティックスのディフェンス力が、リーグ最多得点を誇ったレイカーズのオフェンス力を封じ込め、95-93のロースコアゲームでセルティックスが勝利し、8年連続の優勝を決めた。八連覇という金字塔はNBAに留まらず、アメリカのプロスポーツ史の中でも最長記録である。

後期セルティックス王朝へ

不滅の記録を打ち立てたセルティックスは、節目の時を迎えていた。セルティックスの優勝を全て知る選手はビル・ラッセルだけとなり、さらにこのシーズンを最後にレッド・アワーバックがヘッドコーチから退いたのである。前年にセルティックスのオーナーでチーム運営を担当していたウォルター・ブラウンが亡くなり、彼の仕事を引き継いだアワーバックは多忙を極め、とてもヘッドコーチとの兼任は続けられなかった。アワーバックのコーチ辞任により、セルティックスの連覇記録は途切れることとなるが、絶対的な指導者が退いたことで王朝が瓦解したかと言えば、そうではなかった。アワーバックはプレーオフ期間中に後継者としてビル・ラッセルを指名し、シーズン終了後にはNBA初の黒人ヘッドコーチが誕生した。さらにこのシーズンのプレーオフで大活躍したジョン・ハブリチェックがセルティックスの新たな主役として台頭し、サム・ジョーンズと共に新たなウィングコンビを形成した。そしてアワーバック自身は人事部門責任者として辣腕を振るい、ベイリー・ハウエルの獲得など的確な補強を行っていく。セルティックスは衰えることを知らず、新たな顔ぶれのもとで次の時代を迎えることとなる。

ラストシーズン

  • ジャック・トゥィマン (1955-66) 引退後は解説者に転向。
  • トム・ゴーラ (1955-66)
  • ウィリー・ナオルス (1956-66) キャリア晩年をボストン・セルティックスで過ごし、3度の優勝を経験。
  • クリフ・ヘイガン (1956-66) ABAのダラス・チャパラルズに移籍するため、NBAではこのシーズンが最後のシーズンとなった。ABAでは1970年までプレイした。

外部リンク

  • NBA.com HISTORY (英語)
  • NBA.com HISTORY Finals (英語)
  • Basketball-Reference.com (英語)

1966 NBA Playoffs by egoaudit on DeviantArt

19651966シーズンのNBA 196566 NBA season JapaneseClass.jp

【NBAファイナル1965】ボストン・セルティックス VS ロサンゼルス・レイカーズ 全5試合の結果や流れを詳しく解説! Life Surf

196566 NBA season Alchetron, The Free Social Encyclopedia

Die Saison 196566 in Zahlen www.andivanloudt.de