浅井教司(あさい のりじ、1946年9月17日 - )は、千葉県出身のプロゴルファー。

来歴

日本大学卒業後の1974年にプロ入りし、1975年の美津濃プロ新人では田原紘と並んでの2位タイに入った。

1976年の千葉県オープンでは尾崎将司・長谷川勝治に次ぐと同時に尾崎健夫・海老原清治と並んでの3位タイ、1977年の長野県オープンではベン・アルダ( フィリピン)、土山録志・新井規矩雄・菊地勝司・榎本七郎を抑えて森憲二の2位に入った。

1978年の関東オープンでは初日に上原宏一・謝敏男( 中華民国)・川田時志春・関水利晃・草壁政治・海老原清治・日吉稔・森憲二・高井吉春・石井冨士夫と並んでの10位タイでスタートし、2日目には謝永郁(中華民国)・上原と並んでの7位タイ、3日目には日吉定雄・謝永・日吉と並んでの3位タイに浮上した。

1979年のKBCオーガスタでは初日に前田新作・陳志明(中華民国)と共に68をマークし、首位タイの石井裕士・草壁政治・郭吉雄(中華民国)を1打差で追う4位タイでスタートした。

1981年の千葉県オープンでは白石勝昭・尾崎直道に次ぐ3位 、1985年の栃木県オープンでは高橋五月・渡辺司と並んでの4位タイに入った。

1984年には菊地とペアを組んだアコムダブルスで初日を森下正美&古木譲二ペア・新関善美&藤木三郎ペア・高橋&横島由一ペアと並んでの4位タイでスタートし、3日目には新関&藤木と共に飯合肇&小川清二ペア・松本紀彦&小林恵一ペアと並んでの4位タイに着けた。

1987年の日本プロを最後にレギュラーツアー、2002年の日本シニアオープンを最後にシニアツアーから引退。

藤岡温泉カントリークラブ所属を経て、現在はフリーで、シェイクスピアカントリークラブ代表。

脚注

外部リンク

  • 浅井 教司選手 プロフィール - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site of JAPAN GOLF TOUR

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