集議院(しゅうぎいん)は、明治政府が設けた国政諮問機関。

概要

1869年(明治2年7月)に政府は、公議所を改めて集議院とした(同時に待詔局を改めて、待詔院とし、また弾正台を設けた)。

公議所同様、立法および行政を含む国政全般についての審議を行った。議院は公議所から継続し、長官を議長と称した。公議所が議決機関としての性格を有し、自主的な建言も行っていたのに対し、集議院は太政官からの諮問への答申のみを行うようになり、諮問機関としての性格が強まった。

集議院の議決の採否の如何は太政官の任意であったため、議政権は萎縮した。

1871年以降会議は開かれず、同年8月左院所属となり、1873年6月に廃止された。

脚注

関連項目

  • 大日本帝国憲法

外部リンク

『集議院』 - コトバンク


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